【最強の力士】ウルフと恐れられた男 第58代横綱・千代の富士とは?

さらに詳しく相撲を知る!

長い歴史を持つ相撲の歴史の中で最強と言われてきた力士はそれぞれの時代に存在し、時代ごとに相撲界を支えてきました

その中でも、「千代の富士という力士の名前は聞いたことがある!」という人も多いんじゃないでしょうか

千代の富士は6回の優勝決定戦ではすべて勝利に収めてきた

その「勝負強さ」「圧倒的なパワー」はどのようにして形成されてきたのか

そこで今回は、「気迫と美しさ」を兼ね備えた相撲、通算1045勝「肉体と精神の極限まで勝負に挑み続けた」第58代横綱・千代の富士の生涯を振り返っていきたいと思います

幼少期

千代の富士貢(ちよのふじみつぐ)、本名秋元貢(あきもとみつぐ)

北海道福島町に生まれ、父親が漁師だったこともあり海とともに育つ

郷土の先輩、第41代横綱・千代の山(元:九重親方)に素質を見出され昭和45年に相撲界の門をたたいた

入門 昭和45年~

千代の富士が入門した九重部屋には第52代横綱・北の富士(元:九重親方)がいた

千代の富士の四股名(しこな)の理由

部屋内での千代の富士への期待は大きかった

そのため、師匠「千代の山」と横綱「北の富士」の四股名から「千代」と「富士」をとって「千代の富士」と名付けられた

なぜウルフ?

昭和46年・初場所、千代の富士の四股名が東序二段57枚目として初めて番付表に載ったとき、

当時、新弟子の千代の富士はその時から目が鋭かった

そこで、兄弟子北の富士は千代の富士のことを「ウルフ」と呼んだ

新入幕 昭和50年~

昭和49年・9月場所(秋場所)、幕下優勝

そして十両を5場所で通過、入門から5年で幕内の土俵まで駆け上がっていった

昭和50年・秋場所、幕内初白星を挙げる

入幕当初、千代の富士の相撲は白星を挙げていく中でも強引な投げが目立っていた

憧れの力士との初挑戦

千代の富士の憧れの力士だった大関・貴ノ花(初代)

その貴ノ花との初対戦、千代の富士は寄り切りで憧れの力士を破った

そして、千代の富士は貴ノ花を破ったこの場所で自身初の「敢闘賞(かんとうしょう)」を受賞することになる

力士生命の危機 昭和54年~

昭和54年・3月場所(春場所)・7日目、播竜山との対戦

脱臼癖があり、何度も脱臼していた左肩に加えて右肩を脱臼してしまった

千代の富士の肩の関節は脱臼しやすい体質で、力士としては致命的な欠陥となっていた

これに対して千代の富士は後に、「もうこれで相撲は取れない、相撲人生終わりかな・・・」

と思ったと述べています

筋肉の鎧

千代の富士の脱臼癖は手術をしたら簡単に治るものだと、医者から言われた

しかし、手術後のリハビリは半年以上必要で年間6場所の内、半分を休場することになる

そこで、千代の富士は肩の周りに「筋肉の鎧」を作ることで肩の関節を守り、脱臼しない体を作っていくことに決めた

相撲の取組の転機 昭和55年~

昭和55年・3月場所、第56代横綱・二代目若乃花との対戦

前褌(まえみつ)を取り、頭を付けて「寄り切り」で若乃花を破った

この取り組みを機に、「左の前褌を取り、右を差して一気に寄り切っていく」という

肩に負担がかからない千代の富士の「速攻相撲」の型ができ上がっていった

躍進 昭和55年7月~

昭和55年・7月場所(名古屋場所)から三場所連続「技能賞」を獲得、

番付も関脇まで一気に駆け上がっていった

初優勝

昭和56年・初場所、関脇2場所目

14勝全勝と順調に星を増やしていく中で、場所の途中で引退した「角界のプリンス」と人気を誇った貴ノ花に代わって人気の主役となった

そして、初場所・千秋楽、相手は1敗で千代の富士を追う横綱・北の湖(きたのうみ)

この一番に勝てば、悲願の初優勝となる

しかし、北の湖に吊り出しで敗れ優勝決定戦へ

優勝決定戦では、「上手出し投げ」で北の湖を破り14勝1敗で初の優勝を勝ち取った

大関昇進 たった3場所

場所後、千代の富士は大関へ昇進

昭和56年はウルフフィーバーが頂点に達した年で千代の富士の任期は凄まじいものになっていった

横綱昇進

昭和56年・7月場所、大関3場所目、横綱を狙うチャンスがやってくる

千秋楽で再び北の湖と対戦、北の湖を「寄り切り」で破り優勝と横綱を手にした

場所後、正式に横綱へ昇進

当時26歳、身長182cm、体重118kg、「小さな大横綱」第58代横綱・千代の富士の誕生である

横綱としてのスタート 昭和56年9月~

いきなりの危機

夏巡業で左足を負傷し、新横綱の場所3日目で休場に追い込まれる

千代の富士の横綱デビューは順調にはいかなかった

世間からは「短命横綱」という声もささやかれた

横綱の意地

昭和56年・11月場所(九州場所)、優勝決定戦で朝汐(あさしお)を破り、

横綱になってから初めての優勝(自身3回目の)をつかんだ

この取り組みに対して千代の富士は、「15日間もつか不安な状態で臨んだ場所だったから、本当に

うれしかった」と述べています

そのくらい千代の富士にとって意味のある場所だったんですね

昭和56年の一年間では、1月に関脇として優勝、7月に大関として優勝、そして11月に横綱として優勝と3度の優勝を果たした

九州場所での記録

第59代横綱・隆の里は千代の富士が8連敗するなど最も強力なライバルだった

昭和58年・九州場所・千秋楽ではライバルであった隆の里を破って優勝

後にこの2人はこの勝負をはさんで、4場所連続千秋楽の相星決戦で優勝を争うことになる

千代の富士はこの後も優勝を重ねていき、最終的には九州場所9連覇を果たしている

弟弟子 北勝海(ほくとうみ)との関係

同じ九重部屋の弟弟子である北勝海(現:八角親方)と千代の富士はお互いを成長させるとても良い関係であった

部屋の稽古では、千代の富士が北勝海に胸を出して稽古をつけるなど切磋琢磨していた

これに対して千代の富士は、「北勝海が出てこなかったら、自分は3、4年でいなくなっていたかもしれないからね」と述べている

それほど、2人はお互いの良いところを吸収して成長し合う良い関係だったことがわかりますね

横綱としての円熟期 昭和61年~

昭和61年は横綱千代の富士の「心・技・体」が最も充実した時期である

大横綱としての一歩

千代の富士の5連覇は5月場所(夏場所)から始まる

  • 61年5月場所、千秋楽:対 北尾(双羽黒)(16回目)
  • 61年7月場所、優勝決定戦:対 北尾(双羽黒)((17回目)
  • 61年9月場所、14日目:対 朝潮(18回目)
  • 61年11月場所、千秋楽:対 双羽黒(19回目)
  • 62年1月場所、優勝決定戦:対 双羽黒(20回目)

こう見ると、第60代横綱・双羽黒(ふたはぐろ)にとって千代の富士という存在はとても大きな壁だったことがわかりますね

この記録を機に千代の富士は大横綱の一人として歩み始めます

連勝記録

昭和63年夏場所7日目、千代の富士の偉大な連勝記録はここから始まった

千代の富士の53連勝は双葉山、白鵬に次いで歴代で3番目の記録である

24連勝の時には師匠であり兄弟子であった北の富士の24回の優勝に並んだ

さらに、大鵬の45連勝も抜きどんどん連勝記録を伸ばしていく

そして大鵬の記録を抜いた46連勝の時、千代の富士は「もういいや・・・笑」と思ったそうです

その後も、連勝を伸ばしていき53連勝目で優勝を決めた時も「もういいや・・・笑」と思ったと述べています

昭和63年・九州場所・千秋楽、54連勝をかけた取組で第62代横綱・大乃国に敗れ千代の富士の連勝記録は53で止まった

そして、昭和天皇崩御によって、この取組が昭和の大相撲最後の取組となりました

新しい平成の時代

平成元年・名古屋場所、前の場所で全休した千代の富士が再起をかけた場所である

突然の不幸が襲う

場所前、突然の不幸が千代の富士を襲う

三女あいちゃんの病死

千代の富士は悲しみの中で土俵に立った

同部屋対決

千秋楽では、弟弟子・北勝富士と同部屋対決の優勝決定戦に臨んだ

同部屋、横綱同士の優勝決定戦は史上初のことであった

そしてこの取組を制して28回目の優勝を飾りました

これに対して千代の富士は「ああ、悪りいな・・・」と思ったと述べています

娘さんを亡くされても土俵に立ち続けて優勝する精神力は本当に素晴らしいですね

さらなる挑戦 平成元年9月~

国民栄誉賞

平成元年9月、千代の富士は相撲界初の「国民栄誉賞」を受賞した

通算1000勝

平成2年・春場所・7日目、千代の富士は通算1000勝を達成する

そして最終的に千代の富士は通算1045勝を達成する

小ネタ

1000勝を達成した後のインタビューで次の目標を聞かれたときに千代の富士は「1001勝」と答えた。そして、白鵬が1000勝を達成した後のインタビューで次の目標を聞かれたときに少しにやけながら「1001勝」と答えていましたね

白鵬が昔の取組をよく見て勉強して、憧れていたことがわかとても良いシーンですよね

31回目の優勝

平成2年・九州場所・14日目、旭富士を「寄り切り」で破り31回目の優勝を果たした

また、この勝利によって幕内804勝を達成

これは、北の湖と並んで当時1位の記録である

そして、この優勝によって大鵬の持つ32回の優勝記録まであと1つと迫った

世代交代

平成3年・夏場所・初日、相手は18歳の貴花田(後の横綱・貴乃花)である

この時、千代の富士は35歳であった

この取組で千代の富士は敗れ、2日後に引退を表明。22年の土俵人生が終わった

千代の富士が若手の時に、貴花田の父である元大関・貴ノ花を破った取組と

若手の貴花田が父の仇と言わんばかりに台頭してきたことに千代の富士は「これからも相撲界は大丈夫だ・・・」と思ったと述べています

引退

「大鵬の優勝記録まであと1回なのにもったいない」という声がある中で、千代の富士は土俵を去った

引退会見での「体力の限界」はとても有名なセリフですよね

まとめ

第58代横綱・千代の富士

在位59場所、優勝31回、53連勝、通算1045勝

昭和の大相撲の「心・技・体」を平成の世に伝え、千代の富士は土俵を去った

ということで、今回は千代の富士の相撲人生について振り返っていきました

昭和の名力士がどのように力士人生を歩んできたのか?

この記事で相撲をさらに好きになってくれる人が一人でも増えてくれると私はうれしいです

コメント

タイトルとURLをコピーしました