相撲の「弓取式」とは?意味や由来から担当力士まで徹底解説!

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弓取式の由来や意味、担当力士について疑問になっている方も多いと思います

そこで、今回は弓取式という言葉の由来の歴史と担当力士はどのように決定されるのか?を解説していこうと思います

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相撲の「弓取式」とは?その意味と由来

弓取式とは大相撲の全取組の最後に行われる「弓での舞」のことを言います

弓取式の本来の意味

勝利の喜びの表現

弓取式の本来の意味は、相撲に勝った方の代表者が褒美として授かった「弓矢」を背負って勝利の舞を披露し、勝利の喜びを表現するということです

「神事」としての意味

大相撲は五穀豊穣(お米などが豊作になること)や天下泰平を神様に祈る「神事」でもあります。
弓取式の最後には、弓で土俵を掘るような、あるいは空を切るような独特の動作(「弓を抜く」と言います)をします。これは、「大地の邪気を祓い、世の中の平和を願う」という宗教的な意味合いも含まれています

いつから始まった?歴史と由来

相撲節での「勝者の舞」がルーツ

相撲節では、土俵も行司もなかったのですが、「立合(たちあわせ)」という役職の人が相撲人を立ち会わせる役割を担っていました

相撲立ち合わせの古図

そして、勝った方の「立合(たちあわせ)」は弓を背負って舞う「立合舞(たちあいまい)」を行っていました。

弓を持った立合舞の図

この立合舞が現在の弓取式の起源になっています

織田信長からの「褒美」

織田信長は大の相撲好きとして知られており、何度も大規模な上覧相撲を開催していました。この上覧相撲で見事勝ち抜いた一番強い力士に、信長が褒美として「重籐(しげとう)の弓」を与えたところ、その力士が弓を手にして喜びの舞を踊ったとされています。

伝説の横綱「谷風」によって現在の型が完成
谷風と小野川対戦の図

江戸時代になると、現代の弓取式のような決まった型が誕生したと言われています

寛政3年(1791年)、11代将軍・徳川家斉の前で相撲を行う際、伝説の大横綱である2代「谷風 梶之助(たにかぜ かじのすけ)」が、将軍から賜った弓を土俵上で敬い奉げ、四方に振り回す作法を行いました。これが現在の弓取式の直接の原型になったとされています。

弓取式を行う「弓取力士」の条件とルール

どんな力士が選ばれるのか?

横綱が所属する部屋の幕下以下の力士

弓取式は横綱が所属する部屋や一門の幕下以下の力士が担当します。番付が上位の力士は弓取式を行うことはありません

また、横綱が東西に存在している場合には「東の横綱」の所属部屋の力士が担当します

横綱が休場している場合は?

横綱が休場している場合はその場所で一番番付が上位(東の大関など)の力士が所属している部屋や一門の幕下以下の力士が担当します

弓取式の変遷と伝説

元々は千秋楽限定だった!?

実は、弓取式が場所中に毎日行われるようになったのは、昭和27年(1952年)5月場所からのことです

それまでは「千秋楽(最終日)の最後の勝者を称えるためだけ」の限定行事でした。そのため、もし千秋楽の結びの一番が「引き分け」や「痛み分け」になった場合は、勝者がいないため弓取式は中止されていました。
しかし昭和27年以降、ファンサービスや興行的な意味合いも含めて、現在の「毎日行うスタイル」へと定着していきました

最多記録の伝説弓取力士

大相撲における弓取式の最多記録は、伊勢ケ濱部屋の元力士・聡ノ富士が打ち立てた653回です

日馬富士関や照ノ富士関という横綱が伊勢ケ濱部屋の所属だったこともあり、長年弓取式を務め江戸時代から続いていた最長記録を塗り替えることとなりました

まとめ

弓取式の由来が相撲節や織田信長の上覧相撲であることや弓取力士の条件、伝説の弓取力士について解説してきました

相撲を観戦する際には弓取式にも注目して楽しんでみてください

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