大相撲で勝敗の決定に疑問があるときにつけられる物言い。
物言いの意味やルール、由来について疑問に思っている方も多いと思います
そこで、今回は相撲の「物言い」について徹底解説していこうと思います
【相撲とは?相撲の魅力や基礎知識の完全ガイドはこちら】

大相撲の物言いとは?

物言いの意味
物言いとは、行司が勝敗の軍配を上げた時に土俵下の審判がその結果に物申すことを言います
土俵下の審判が手を挙げると、土俵の中央に審判団は集まり、取組の結果について協議を行い再び勝敗を決定します
物言いが終わると、審判部長から場内に向けてアナウンスがあり、取組の結果の公平性と最終的な勝敗が伝えられます
物言いのルール
軍配通り
協議の結果、行司が下した軍配と同じ判定になることを軍配通りと言います。この場合は、物言いがつく前の結果のまま取組が終わります
軍配差し違え
協議の結果、行司が下した軍配と異なる判定になることを軍配差し違えと言います。この場合は、物言いがつく前の結果とは逆の結果で勝敗が決まります
同体・取り直し
協議の結果、双方の体が同時に地面についている場合や同時に土俵外に出ている場合に同体・取り直しとしてもう一度取組を行います
どのように判定をする?
現在の大相撲での物言いはビデオ室でビデオ判定を行い、土俵上に集まっている審判がイヤフォンからビデオ判定結果を聞いて協議を行っています。
昭和初期の大相撲では、実際に勝負審判が土俵の真ん中に集まり、協議していたため現在でも土俵に集まった形で物言いの協議が行われています
大相撲の物言いの歴史は?

物言いの歴史は奈良・平安時代にまでさかのぼります
相撲節の時代から続く物言い
奈良・平安時代から朝廷の年中行事として行われていた相撲節の時代から物言いと似たような協議が行われていました。
相撲節で完成した物言いの原型

相撲節での勝敗の決定は、左右に配置されていた近衛の次将が行っていました
しかし、同体や微妙な勝負の時は、次将がそれぞれの意見を「出居(いでい)」(判定を専門に扱う役割)に申し立てることになっていました。これを今でいう「物言い」と言って、当時は「論(ろん)」と呼ばれていました
これでも判定が決まらないときは、公卿(くぎょう)に意見を求め、最終的には天皇の判定を仰いでいました。この天皇による最終決定を「天判(てんぱん)」と呼び、誰も言い返すことはできないものになっていました
行司がもっている短刀の意味
江戸時代に現在のような相撲興行として勧進相撲が発展していく中で、行司の制度も確立していっていました。この時代の行司の権威は絶対でした。このことから、行司は軍配差し違えがあれば腰の短刀で切腹するという覚悟をもって勝敗を決していました。
世紀の大誤審が生んだビデオ判定
現在の大相撲では当たり前になっているビデオ判定ですが、ビデオ判定導入の裏には世紀の大誤審が関係していました
大鵬の連勝ストップがもたらした影響
1969年(昭和44年)3月場所、当時連勝記録を続けていた昭和の大横綱・大鵬関。これまでに45連勝を記録していた大鵬関ですが、戸田(のちの羽黒岩)との一番で際どい勝負となり、大鵬関の負けで勝敗が決してしまい、連勝記録は45でストップしてしまいました。
しかし、この取組では明らかに戸田の足が先に外へ出ていたために「世紀の大誤審」として世論から大バッシングを受け、ビデオ判定の導入へと至りました
まとめ
物言いには相撲節から現代に至るまで多くの歴史がありました。
ビデオ判定に至る要因となった世紀の大誤審など、物言いについて深ぼるだけでも相撲についてとても深く知ることができます

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