【相撲の祖】相撲節会とは?室町時代以降も宮中行事として続いていた

相撲を知る!

現代の大相撲の儀式の祖である相撲節会(すまひのせちえ)。

相撲節会とはどのようなものだったのか?疑問に思っている方も多いと思います

そこで、今回は相撲節会について徹底解説していこうと思います

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相撲節会とは?

相撲節会の図

相撲節会(すまひのせちえ)は単に相撲節(すまひのせち)とも呼ばれていました

相撲節会

八世紀にはじまり、十二世紀に断絶するまでのおよそ400年間、奈良・平安時代を中心に朝廷の年中行事として行われていた、諸国から有力な相撲人を宮中に集め、天候の温順と五穀の豊穣を神仏に祈るための一つの祭、儀式のことです

現代にまで続く洗練された儀式

相撲節会では現代の大相撲のように、相撲の取組の前後に様々な儀式が行われていました

弓取式の原型
弓を持った立合舞の図

相撲節会では、土俵も行司もなかったのですが、「立合(たちあわせ)」という役職の人が相撲人を立ち会わせる役割を担っていました

そして、勝った方の「立合(たちあわせ)」は弓を背負って舞う「立合舞(たちあいまい)」を行っていました。これが、現在の弓取式の起源になっています

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花道の語源
髪に造花を付ける力士

相撲節会では、力士は髪に造花を付けて取組を行っていました

  • 左近衛府側(今の東方)の力士は葵(あおい)の花の造花
  • 右近衛府側(今の西方)の力士はユウガオの花の造花

そして、勝方の力士は造花を次の取組の力士に引き継ぎ、負方の力士は新しい花を付けていました

このように、勝方の相撲人が造花を次に登場する相撲人に与えるなど、「花を付けた力士が通る道」だったことから「花道」と呼ばれるようになりました

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力水の語源

力水も相撲節会に起源があると言われています

相撲節会では前の取組で勝った相撲人から水を受け取り、勝ち運や力を授かるという意味が込められていました

なので、現在でも「前の取組で勝った力士」が「次に取組を行う力士」に水を与えています

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千秋楽の語源

千秋楽の語源も相撲節会だと言われています

相撲節は様々な舞楽(ぶがく)によって彩られていました

※舞楽とは、日本伝統の華やかな舞台芸術のこと

そして、この舞楽は左舞と右舞に分類されており、相撲節における左右を決める指標となっていました

  • 左方の相撲人が勝つと左舞である「抜頭(ばとう)」
  • 右方の相撲人が勝つと右舞である「納蘇利(なそり)」
    が演奏されるなど相撲節の儀式の中に様々な舞楽が演奏されていました

そして、節の最後に演奏される曲を「千秋楽」「万歳楽(まんざいらく)」と言いました

そのため、現代大相撲で取組の最終日のことを最後を表す舞楽と同じ名前で「千秋楽」と呼ぶようになりました

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東西制の起源

相撲の東西の語源にはいくつか説がありますが、相撲節会が起源の1つだと言われています

相撲節当日の儀式は「召合(めしあわせ)」と呼ばれ、豪華な宮殿の庭の白砂の上で行われていました

そして、千秋楽の語源ともなった舞楽が勝負が一番終わるごとに演奏されていました。

さらに、勝負ごとに「かずさし」という役割の人が勝方側の地上に矢を立て、勝負の数を明らかにしていました。全取組終了後にはこの矢の合計本数で左右のどっちが勝利したのかを決めており、これが現代まで続く「東西制」の起源となっています

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相撲節での物言い

現代の相撲で判定に疑問を抱いたときにする「物言い」ですが、「相撲節」でも「物言い」が行われていました

相撲節での勝敗の決定は、左右に配置されていた近衛の次将が行っていました

しかし、同体や微妙な勝負の時は、次将がそれぞれの意見を「出居(いでい)」(判定を専門に扱う役割)に申し立てることになっていました。これを今でいう「物言い」と言って、当時は「論(ろん)」と呼ばれていました

これでも判定が決まらないときは、公卿(くぎょう)に意見を求め、最終的には天皇の判定を仰いでいました。この天皇による最終決定を「天判(てんぱん)」と呼び、誰も言い返すことはできないものになっていました

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室町時代以降の相撲節会

相撲節会の廃絶

現代の大相撲の出発点である、平安朝廷の年中行事として400年間も続いた相撲節(すまひのせち)は、十二世紀には次第に途絶えがちになり、承安4年(1174年)を最後として廃絶してしまいます

それまでに、干水害や病の流行、彗星の出現などによって相撲節が中止となってきた事例はありますが、なぜ承安4年(1174年)が最後の開催となってしまったのか?

それは、政治背景にありました。
この年の前後で起きた「平治の乱」や「源平合戦(治承・寿永の乱:じしょうじゅえいのらん)」による世情の不安定化や朝廷の経済的困窮によって相撲節を開催できなくなっていき、廃絶へと至りました

また、日本史を振り返るとこの時期から平清盛が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となることで、政治の主役が天皇から武士へと変わっていくことで宮中行事であった相撲節会は廃絶に至りました

室町時代以降は武家相撲へ

室町時代以降、相撲節会は廃絶となり消滅してしまいました。

その代わり、政治の中心が武士へと変わっていくことに伴って相撲も「天皇中心の相撲節会」から「武士中心の武家相撲」へと変わっていきました

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まとめ

相撲節会は現代にまで続く様々な儀式の原型を生み出し、現代の大相撲の儀式の祖として知られています

奈良・平安時代を中心に約400年間続いた相撲節会ですが、政治的背景によって廃絶してしまい、武家相撲が中心の時代へと変わっていきました

日本の国技である「相撲」の基となる相撲節の歴史を知ると相撲観戦がとても面白くなると思います

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